しぐれの日常

オタクによるオタ活日誌

私とラノベと本山らのさん

ライトノベルが何かわかる方もわからない方も、おはようこんにちはこんばんわ。しぐれです。

私はライトノベルが好きである。というかラノベに限らず本なら何でもいけるクチだ。何でも読む。興味もったらとりあえず読む。それが私の読書スタイル。我ながら出費が激しい癖であることは自覚している。しかしやめられない止まらない。それはまるでかっぱえびせんの如く、あっさりと味わえるのに知ろうと思えば奥が深いものだからだ。かっぱえびせんに深さなどない? そんなことはない。河童と海老、よく見てほしい。河と海、童と老、これ、対義語になっているのだ。ただの言葉遊びかもしれないが、確かに奥が深いことがおわかりいただけるだろう。それとラノベの魅力は同じではないものの、似ているということが言いたいわけである。

私がライトノベルにハマったのは、中学一年生になったときのことだった。とある中高一貫校に入った私は、本好きの習性上、当然のようにまず図書室を確認した。さすが中高一貫と言うべきか、本の量は膨大である。地元中学図書室の本棚に毛が生えた程度のものとは比べ物にならない。その中で私はピンと来る本を探して練り歩いていた。色々あった。小学校になかった七日間戦争の続きがあったし、デルトラクエストの続きもあったし、国家論、ファウストなどといった中二心をくすぐるようなものもあった。私は中一だが、そのときには既に中二病の気があった。それは本題とは関係ない。とにかくたくさんの本があった。本好きのパラダイス、それが図書室である。なにせ購入しなくても大量の本が読めるのだから!

そこで私は、とあるライトノベルに目が止まった。

バカとテストと召喚獣

小学生のときに友人が読んでいた本であった。小学生当時はオタク趣味はなかった。そのためあまり興味はなかったのだが、友人が面白いと言っていたことを思い出した。めっちゃ面白いと言っていた。それだけ面白いのなら読んでみようか、でもなー、友人の勧めで買うのはなー、と素直じゃない私は2週間くらい悩んだ挙げ句結局借りた。1~8巻まで一気に借りた。私は一気に読むのと繰り返し読むのの複合的な読み方をするので、まとめて借りた方が効率がいいのだ。

思いっきりハマった。それはもう底無し沼にタプンッと沈み込むような勢いでだ。y= -x^2のグラフ並みの勢いだった。パロディに頼らない抱腹絶倒のギャグの数々、キャラクターの豊富さ、今でこそ分析できるが、当時はそこまで考えておらずただただ「おもしろい!」というものだった。どちらがいいというわけではない。どっちもいい見方である。

そういうわけでラノベにハマったきっかけとなったのがバカテスだったわけなのだ。

しかし私はその段階ではラノベ好きというよりバカテス好きだった。どれくらい好きだったかというと、6巻にて脱走を図ったFクラスの生徒たちに対して鉄人が行ったレスリング談義の中に出てきたブラジル人留学生の名前が即座に答えられるレベルである。友人には引かれた。ちなみにジョルジーニョ・グラシェーロという。今でも覚えてる辺り、やはり脳の海馬がトチ狂っているのかもしれない。

ラノベというものを買い始めたのは、本屋のおかげである。本屋は同じようなジャンルの本をまとめて置いてくれている。ライトノベルもその御多分に漏れず、ライトノベルをまとめて置いてくれていた。そこで見つけた二冊の本が、ラノベ沼に半身浴していた私を頭の先まで引きずり込んだのである。
その二冊の本とは、

『俺、ツインテールになります』

『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』

この2冊である。人気だということを知らずにこの2冊に手を伸ばす辺り、昔の私のセンスを褒め称えたい。よくやった、昔の私。俺ツイは私が仮面ライダープリキュアなどのいわゆる日朝キッズだったから、表紙とタイトルに惹かれて購入した。当たりも当たりの大当たりだった。全巻持っている。ふぉあたー1巻も持っている。ふぉあたーは本屋からなくなってしまったから揃えるのに現在苦労している。
俺ガイルは言うまでもないだろう。時代を象徴する青春ラブコメの代表だ。このラノ3年連続1位という快挙は伝説である。ほんっっっとうに八幡の言葉のほとんどが共感できるもので、さらに相模やいろはといった現実に即したキャラクターたちも魅力的である。『本物』を求めることは私が諦めたことだったから、非常に胸に突き刺さった。

そんな名作にラノベを読み始めた早期に巡りあえたことから私はラノベを好きになっていた。

そうなると気になる作品を片っ端から読み始めることになる。SAO、男子高校生のハレルヤ、のうりん、禁書、不戦無敵の影殺師、はがない、異世界修学旅行、ノゲノラ、飛空士など人気のある作品から埼玉県神統系譜、俺が生きる意味、キモイマンなどのピンときた作品まで、読みまくったし、買いまくった。ラインナップからわかると思うが、私はガガガが好きである(わからない)。

中二のとき、私に変化を与えた三つの作品との出会いがあった。

一つは逆鱗日和。
大塚角満氏の書くモンスターハンタープレイ日記である。私がそのとき読んだのは過去の傑作を集めた『本日もやっぱり!逆鱗日和』だったが、それを読んで、私も同じようなものを書いてみたいと思った。ルーズリーフに手書きで3rdで初めてアマツマガヅチを一人で倒したとき、4Gで極限状態と相対したときのことなどを書いていった。とは言っても、ほとんど逆鱗日和まんまのところが多かったが。それでも私に文章を書くということを意識させてくれた作品である。ずっと新しい逆鱗日和待ってます。

二つ目は妹さえいればいい。という作品だ。
はがないの作者・平坂読氏が送るラノベ作家の青春ラブコメである。はがないで平坂先生のファンになっていた私は発売日に妹さえを購入した。最高であった。ラノベ作家の生活など私たちには知る由もないが、それなのに『リアルさ』を感じさせるのである。銀髪美少女、イケメン同期作家など現実とは離れた設定であるのにも関わらず、そこに確かに彼らが生きているということが伝わってくるのである。これは一種現実の香りを匂わせる行動を彼らが取っているからだろう。恋に悩み、進路に悩み、確定申告までする。それをある種の『ラノベ的キャラクター』と融合させて面白い話を成立させてしまうのだから恐ろしい。もちろんこれは理想が描かれたものであるということはわかっている。それでも、私はこう思ったのだ。

ライトノベルを書いてみよう、と。

それから私はまずは逆鱗日和のときと同じようにルーズリーフに書いていった。しかし、やはりダメだった。二重の意味でダメだったのだ。まずは物理的な問題として、書いた文を修正しにくいというのがある。さらに思考の方が速く、書く速度が追い付かなかった。これにはだいぶイライラさせられた記憶がある。面白いと思うフレーズやアイデアを思い付いても、書く速度が追い付かないため書き留める前に忘れてしまうのだ。

私が執筆ツールを求めたのは自然な流れであろう。

私が目をつけたのは妹さえで可児那由多が使っていたpomeraだった。親が当時は厳しかったため、部屋にネットに繋がるツールを持ち込めなかったのだ。だからパソコンという線はなかった。そして執筆以外の機能が削ぎ落とされたpomeraに白羽の矢が立ったのである。

なんとか親を説得して、誕生日にpomeraを買ってもらったときは涙が出かけるほどに嬉しかったのを覚えている。これでやっと小説が書ける、と思っていた。しかし書けなかった。二重の意味の二つ目、技術的な問題である。シーンは思い付く、キャラクターも思い付く、設定もできる、ストーリーもできる。ただ、文章が、特に地の文が書けなかったのだ。

この問題を解決してくれたのが三つ目の作品、男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけど年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。という作品だった。

キノの旅、一つの大陸の物語などで有名な時雨沢恵一氏が手掛けた本作、目を引くのはその長いタイトルであるが、この作品の本質はそこではない。あまり話すとネタバレってしまいそうなので詳しくは言わないが、丁寧に張られた伏線が素晴らしいのだ。
本作はタイトルにある売れっ子ライトノベル作家の主人公が、オフレコに向かう電車の中で声優のクラスメイト似鳥絵里に作家業について話すという形式で進行していく。その中で、主人公が私と全く同じ悩みにぶつかっていたのだ。
その主人公がそれを乗り越えた方法は『足掻くこと』だった。書けなくてもただ書き続ける。ちょっとでも進んだら消して、進んだらまた消しての繰り返し。気の遠くなるような作業だと思った。しかし、周りに作家をやっている人がいない以上、これを参考にするしかない。多少文章がおかしいと思っても無理矢理自分を納得させて進めた。

結果としてある程度書けるようになったのだから時雨沢先生恐ろしい。実体験なのかな? と疑うレベルだった。実体験した私が代わりに説明すると、あれはマジで地獄でした。

そんなこんなあり、本をたくさん読んでそれを糧にしてラノベを書くという生活が続いた。合間にゲームもするが。

本を読み書きすると、それついて語りたくなるのは本好きの性であろう。私は友人に布教しようとした。ラノベをいくらか読んでいる人だったのでいけると思っていたのだ。しかし、それは失敗に終わる。

友人は、アニメありきのラノベだったのだ。

つまりアニメの原作本としてラノベを読む。SAOや禁書、このすばなどを読んでいるが、あくまでもアニメ化されているものを読むというスタイルだ。それが悪いわけがない。どんな読み方であれ、それは人それぞれであるし、アニメ化されているものは確実に面白い。それを読むのは当たり前だ。誰だって面白い話を読みたい。ただ、友人は私とは違い深く読み込むタイプではなかった。話が噛み合わないのだ。私が「この作品のこういう表現が」という話をすると友人は「このキャラクターがかわいい」という話をする。「これ読んでつらかた」という話をしても「なんでつらいの?」となってしまう。再三繰り返すがどっちが悪いという話ではない。どっちも正しい。楽しみ方はそれぞれなのだから。

そういうわけで、私はラノベについて語り合える友人というものがいなかったのだ。好きだからこそ話したい。けれど話せない。受験で病んでいたときは壁に向かって一人ラノベ談義をしていた。読めない上に話せないという受験戦争が、私の心から安定を奪い去っていた。

受験が早期に終わったため、私は精神の安定を求めて部屋にある本を読み直した。成長した私は読み方が多少変わっていた。心情や場面なども見るのだが、改行の数、地の文の言い回しなど技術的なところにも目が行くようになっていた。約三年間、文字を書き続けた結果だろう。で、読み方が増えれば語りたいことも増える。でも誰とも話せないなあ、などと思いながらネットの海を巡回していたとき、私に天使が舞い降りた。

本山らのさんだ。

ラノベ好きVtuberとしてデビューした彼女は、私よりも一つ年上のJD狐さんであった。そんな世代を同じくする彼女が、私と同じようにライトノベルが好きであるという事実に、私は救われた。世界のどこかには同じように語り合える仲間がいるのだと思った。動画に人生や編集長殺し、邪神大沼などでお馴染みの川岸欧魚先生が出たときは心の底から羨ましいと思いながら見ていたし、その川岸先生が明らかにらのさんモチーフの爆死ヶ淵やみというキャラクターでブラック話を始めたときは大いに笑わせてもらった。

そんなわけであるから、私は本山らのさんにフォローされたのが大変に嬉しかったのである。

なんでフォローされたのかと理由を考えたときに、「弱キャラ友崎くん7巻の感想で使った『ほんげるるぴー』という言葉が嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん11巻に出てくるまいの台詞だと気づかれたからでは」などというあり得ない妄想に行き着くほど嬉しかった。

結論は2行で終わっている。前降りが長すぎたかなと多少反省している、が、まあ心の内にあったものをだいぶ吐き出せた。そういう意味でもありがとう、本山らのさん。

これからも応援しています。